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京都に西郷隆盛の漢詩の草稿 流刑時代を振り返る歌も

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 京都の歴史資源を使った企画を展開する「北野界わい創生会」(京都市上京区中立売通六軒町西入三軒町、TEL 090-9610-2012)代表で歴史研究家の鳥井光広さんが8月7、骨董(こっとう)店から手に入れた西郷隆盛の詩の草稿を披露した。

草稿詩と箱

 西郷隆盛は、沖永良部(おきのえらぶ)島に流されてから漢詩を作るようになったといわれ、現在でも200編近くが伝わっている。

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 鳥井さんが手に入れた草稿は3編がつづられており、児玉天雨の添削の朱が入っている。帳面に書きとめられた草稿を後の時代に切り離して額装したと見られ、孫にあたる西郷吉之助の「祖父南州筆詩草稿 西郷吉之助」箱書きと落款がある。草稿を確認した京都霊山歴史館(東山区)の木村幸比古副館長は「これまでに類似の資料が見つかっており、これもその一環のように見える」と話す。

 3編は明治2年から3年に詠んだと見られる。「世上(せじょう)の毀誉(きよ)軽きこと塵に似たり、眼前の百事偽か真か」(世の中の人のほめそしりは、ちりのように軽い。目の前の全てが偽かまことかわからない)「追思すれば孤島幽囚(ゆうしゅう)の楽(たのしみ) 今人に在らずして古人に在りき(思い起こせば孤島にとらわれていたときの楽は今生きる人にはなく、昔の人の上にある)」と奄美の離島でとらわれていた時代を思い出し、世を嘆く気持ちがつづられている。漢文の書き下し文は「西郷南洲先生詩集」(昭和33年)から抜粋。

 鳥井さんは「明治2~3年といえばまさに戊辰戦争の動乱期。理想とはかけ離れた明治を目の当たりにして、過去を振り返ったり、自然の美しさをひたすら詠んだり気持ちが移ろっていたことをうかがわせる。希望すれば見られるようにするので連絡をもらえたら」と話す。

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