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京都で明治から昭和の女学生特集-卒業写真や日本初のセーラー服の展示も

府立京都第二高等女学校(高女)の卒業写真。左が姉(大正9(1920)年撮影)、右が妹(昭和6(1931)年頃)。着物がセーラー服になったことがわかる

府立京都第二高等女学校(高女)の卒業写真。左が姉(大正9(1920)年撮影)、右が妹(昭和6(1931)年頃)。着物がセーラー服になったことがわかる

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 京都市学校歴史博物館(京都市下京区御幸町通仏光寺下る橘町、TEL 075-344-1305)で現在、「京都の高等女学校と女学生」展が開かれている。

日本最初のセーラー服

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 「高等女学校」は、1948(昭和23)年まであった女子中等教育の学校で、「高女」と略される。京都市内には、1942(昭和17)年4月当時、公立7校・私立10校があったことがわかっている。小学校を卒業後、4~5年一貫制で現在の中学1年生~高校1・2年に相当する。倍率は2~4倍と高く(当時は入学に必要な学力が足りない生徒には先生が受験をさせなかったという)、ごく限られた人しか通うことができなかった。戦後、学制の改革により、現在のような9年間の普通教育や、公立の学校での男女共学が取り入れられた。

 展示では、制服の洋装化や、当時の授業についての写真や資料を展示。大正9(1920)年に平安高等女学校(現:平安女学院)が取り入れたセーラー服のレプリカも展示。日本最初のセーラー服とも言われており、他校生からうらやましがられたという。その後、セーラー服は広がりを見せ、精華女子高等学校の卒業写真で少しずつセーラー服を着用する生徒が増えていくことがわかる写真も。当時使われていた物理の教科書や、地理のノートにはびっしりと書き込みがされている。「当時、男性しか大学は進学できず、女学生は卒業後に学んだ内容を生かす機会がほぼ無い状況で、これだけ真剣に勉学に励んでいたことを思うと驚かされる。次のステップへの勉強ではなく、人生をトータルに見た自己形成の場だったのだろう」と同館学芸員の和崎光太郎さん。

 「ここ数年で一番多くの方に来ている」というほど注目を集める同展示。和崎さんの講演も3月1日に予定していたが、あっという間に満席に。同じ内容で15日にも講演を追加で行うことにした。当時の女学生からの申し込みも多いという。「高女出身の方が、学校の枠を超えて一堂に集まるという機会はまず無いので、今回の講演はとても意義深い」。と和崎さん。「高女であることに誇りを持つ人が多いこともあり、名前だけは聞いたことのある人が多いかも。実際何をしていたのか、現在の学校と似た点、違う点を探しに来ていただければ」と呼び掛ける。

 開催時間は9時~17時(入館は閉館30分前まで)。料金は、大人=200円、小・中・高生=100円。3月29日まで。水曜休館。

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