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祇園祭の「後祭」復活-背景には観光化による人と金の流れの「肥大化」

今年復興した「大船鉾」

今年復興した「大船鉾」

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 洛央小学校(下京区仏光寺通東洞院東入仏光寺西町)で11月15日、祇園祭山鉾連合会理事長の吉田孝次郎さんの講演「祇園会後祭復興と松原通の活性化」が行われた。主催は、松原通界隈活性化活動プロジェクト委員会。

囃子方として加わった5年生も講演に参加

 50年以上、北観音山の囃子方(はやしかた)として祇園祭に関わってきた吉田さん。また同会の理事長として、祇園祭のありかたを模索。2014年には、2つの大きな変化があった。一つが、大船鉾の復活。もう一つは日程を「前祭(さきまつり)」と「後祭」に分離し、かつての姿に戻したことだ。これは、大船鉾の復興と違い、変更があらかじめ決まっていたものではないという。

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 祇園祭は常に「観光と伝統」の間で難しいかじ取りが迫られた。1956(昭和31)年、関係者の反対を押し切り、御池通に有料観覧席を設けることで収益を確保できる巡行ルートの変更が行われた。その後、東京オリンピック開催の2年後、1966(昭和41)年、後祭が前祭に吸収される形で、すべての山鉾が17日に巡行をするようになった。「収益のおかげで修理や修復に充てることができたのは事実」と吉田さんは運営の難しさを語る。

 「前祭」が「後祭」と合併した結果、観光客が集中。特にここ数年で、多くの露店が出て危険な状態が指摘されるようになった。一方で四条通沿いや周辺の山鉾では授与品の売り上げで「懐が潤った」(吉田さん)。こうした人や金の流れが「肥大化した」諸問題を討議する中で「後祭という本来の姿が見えてきた」と振り返る。「最近私は『祭』という言葉の使い方に違和感を持つようになった。現在では、人が集まったら『祭』になるが、神に災厄を鎮め、安寧を願うのが本来の姿では」と力を込める。

 吉田さんは、巡行の前日に行われる日和神楽(ひよりかぐら)で、綾傘鉾が因幡薬師(下京区)で棒振り神事を正式に奉納するようになった取り組みを評価。参加者らと鉾の歴史や、今後の巡行ルートなどで盛り上がった。「私の体から祇園会をなくすなんてことはあり得ない。楽しくて楽しくて仕方ない」と笑顔を見せていた。

 講演の終了後には、同校の5年生の田中正浩くんや岡本隼平くんも思い切って吉田さんに質問し、アドバイスを得ていた。吉田さんは、今年は船鉾や大船鉾の囃子方として参加した2人に、「今年はどこに座らせてもらったんや?」「あそこには名手がいるからしっかり教えてもらうといい」とうれしそうに語りかけていた。

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