立誠シネマプロジェクト(京都市中京区)で11月15日から、生け花作家中川幸夫さんのドキュメンタリー映画「華 いのち 中川幸夫」が上映される。
紹介される中川さんの作品は、ユリの花からトウガラシの「舌」や、陶磁器から「足」を生やす。後期はついに花の形も無く、固めた花びらを縄でしばったもの、花びらを発酵させた塊までもが作品となっている。代表作の一つ「花坊主」について写真家の荒木経惟さんは「死が混じり込んでいるエロス」と評する。900本ものカーネーションの花びらを自作のガラス器に入れ、器を逆さにして、床に敷かれた和紙に赤い花液が流れ出す。
中川さんは1918(大正7)年、香川県丸亀市に誕生。3歳の時に、脊椎カリエスを患う。これにより、背中が曲がりコンプレックスと反骨心が生まれたという。祖父は池坊で名手として知られた隅鷹三郎。その妻・ヒサからいけばなを習い、後に京都で池坊教授総督の後藤春庭から立華を学ぶ。いけばなを学び始めたころから、疑問を持たずに「型」通りに作品をいけることに反発していたという。
1949(昭和24)年の初個展の作品の写真を、作庭家の重森三玲に郵送。重森三鈴は、これを絶賛し、主宰する前衛いけばなを模索する「白東社」の会誌、「いけばな藝術」に掲載した。1950年に白東社に参加。重森邸(左京区)で、伝統的な形にとらわれない作品作りに励んだ。その翌年、池坊を脱退。白東社の半田唄子と結婚し、活動の場を東京に移す。小説家の早坂暁さんはこれを「重森三鈴の放ったテロリスト」と表現する。
映画では、流派に属して弟子を育てることで成り立つ華道家としての道を選ばず、独自の作品を生み出し続けたその生涯を、本人や関係者のインタビューに加え、「創作ノート」を通じて、その足跡をたどる。
「とても衝撃的な作品。いけばな界の異端児的な存在の中川さんには立誠シネマプロジェクトとしてシンパシーも感じている」と同館の田中誠一さん。11月15日には、京都造形芸術大学副学長の大野木啓人さん、11月22日には藍染め造形作家の福本潮子さんを招きゲストトークも行う。
チケットは、一般=1,500円、学生・シニア=1,200円。上映時間はホームページで確認できる。11月28日まで。