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京都で70年前の地図を片手に街歩き GHQの西日本拠点や「建物疎開」跡地巡る

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 京都市中心部で9月22日、「京都市明細図」を使った街歩きが開催された。主催は地元の人がガイドを務めるミニツアーを運営する「まいまい京都」。

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 京都府立図書館総務課の福島幸宏さんのガイドで巡る同ツアー。「京都市明細図」は、福島さんが府立資料館に勤めていた時に発見した291点からなる地図。1927(昭和2)年ごろに「大日本聯合火災保険協会」が作成したもので、同図には戦後1951年までの情報が手書きで彩色や加筆されているのが特徴。ツアー参加者には、ルート沿いの明細図のコピーが配られた。

 ツアーは四条烏丸の商業施設、「COCONKARASUMA(ココンカラスマ)」からスタート。1938年(昭和13年)に建てられた旧丸紅京都支店として知られる「大建ビル」で、現在も南側に当時の外壁を残す。1945年にGHQが接収。西日本の拠点となった。指揮を執ったのはウオーター・クルーガー陸軍大将。四条東洞院の日本生命ビルの場所には、クルーガー大将の寄贈書を中心とした図書館が設けられた。地図では「クルガー図書館」と書き入れられている。

 大丸京都店の裏手にある「京はま稲荷社」は、向かい側に京都証券取引所(2001年閉館)があったことから繁盛を願って建てられたという。その横には、証券会社が軒を連ねていたことが地図から読みとれる。現在は、ラーメン店や医院などになっているものの石造りの長屋の建物は現在でも残っており、当時を忍ばせる。

 東洞院蛸薬師の御射山(みさやま)公園は、もともと住宅地だったが、旧中京区役所の延焼を防ぐために建物疎開が行われた。戦後、払い下げられた土地に公園が作られたと考えられるという。「ここまで広い敷地は、建物疎開で間違い無い。例外はあるものの、京都市内の公園の多くが、建物疎開が行われた跡地」と福島さん。

 一行は、当時から残る表具店や扇子(せんす)店を確認しながら六角通を東へ。旧生祥小学校のそばの公園も建物疎開の跡地だという。その一部は、当時まだ珍しいプールを設けていたが、現在は自転車置き場に姿を変えている。河原町通に抜け、今年8月に10年ぶりに「復活」したことで話題になった「丸善」を右手に眺めながら北上。進駐軍の宿舎として接収された京都ホテル(現・京都ホテルオークラ)周辺を確かめつつ、ゴール地点の京都市役所に到着した。

福島さんは「京都の街を歩くと、古い時代の華やかな建築物に目を取られるが、今の街並みは京都市明細図が今の形になったころに誕生したもの。京都は大規模な爆撃こそなかったが、戦争の影響を受けた街の中にいるということを感じてもらえたら。今の街並みと比較するのも面白い。ウェブで公開されているので活用してほしい」と呼び掛ける。

 まいまい京都では、今後も陸軍第十六師団司令部の置かれた深草など「京都と戦争」を辿るツアーを予定している。

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